落語に、二人で作ったどぶろくを市場へ売りに行く途中、一人が持ち合わせていた5銭を出して、もう一人にどぶろくを一杯売ってくれと言い、もう一人はそれを承知して、それを互いに繰り返し、市場に着くころには、二人でどぶろくをすっかり飲みきってしまったというものがあったように思います。
日本の財政赤字も同じような構造を持っていると思えます。
何が同じかと言えば、どぶろくの事例では、どぶろくの売り手と買い手が同じで、同じ資金(一方が最初に払った5銭)を使っていたのに対し、日本国債についても、売り手と買い手が日本国内の経済主体であり、政府歳入の半分以上が国債発行によって賄われている状態が似ているからです。
このことは、この二つの事例で、何がまずいのかを見るとよりはっきりします。
どぶろくの事例で、まずいのは、売り手と買い手が分離されていない点です。どぶろくという商品について、その商品が完全に売り切れるまで、またはその商品についての販売期間を定め、材料費や手間賃を払いきるまで、売上金は売上金として管理する必要があるのです。仮に、10リットルのどぶろくを作り、それを市場へ行く途中で500ccづつ飲んでしまったとしましょう。最初に5銭で500ccが飲まれてしまうと、9.5リットルのどぶろくと5銭が残ります。この5銭をそのままとっておいて、もう一人がその他に自分が持っていた5銭を使って更に500ccを飲んだとしても、その段階で10銭と9リットルが残ります。結局、きちんと売り上げが残るのです。どぶろく10リットル全てを販売した段階で、売り上げが100銭残ります。
ところが、売り手と買い手が分離されていず、売り上げで得た5銭をそのままどぶろくの代金に回してしまうと、どぶろくは消費されるが、売り上げは結局5銭しか残らないのです。
日本国債についても、国内消化されている点がまずいのです。国外消化であれば、国債に付く利子分は国外へ支払われます。100兆円の10年国債を年利1%の表面利率で発行した場合、計算の簡便さの為に、複利ではなくて、単利で計算すると、10年後には、国債の買い手に110兆円が政府から支払われます。インフレ率が仮に年0%であれば、この10兆円分は買い手の儲けになります。ここで、どぶろくの事例と共通点があることに気が付くのではないでしょうか。つまり、日本の場合、赤字国債を国内消化すればするほど、全く意味のある経済活動がされていないのにもかかわらず、国内に、更に国債を買うための儲けが蓄積されていくのです。国債の利子として支払った資金が更に大量の国債を買うための原資になり、このサイクルがくるくると回っているのです。実体のない経済がどんどんと大規模になり、GDPのみが大きくなるが、実際の経済活動はどんどんと縮小しているという状態です。
どぶろくの場合、5銭が二人の間でくるくると回り、事実として、その二人がどぶろくを飲んで味わったため、最後にどぶろくが無くなり、5銭の売り上げしか残らなくても、この二人は納得するでしょう。しかし、仮に、この二人に雇い主がいて、売り上げを出せと言い出したら、この二人は困ってしまいます。
日本の場合も、国債発行残高が積みあがっても、国内資金で購入資金を賄っているだけであれば、国債発行残高がずいぶん大きくなったなあと思うだけで、なんら困ることはないと思えてしまうかもしれません。しかし、実際には、海外とのやり取りがあるのです。特に、輸入が問題です。海外とのやり取りで、輸入と輸出が釣り合っていれば、結局のところ、海外とのやり取りはゼロと見なすことができ、財政赤字がいくら積みあがっても、単に国内問題で済みます。しかし、いったん輸出の力が衰え、収支が赤字になると、海外から見た、円の価値は、輸出が減った分、そして輸入が増えた分、小さくなっていくのです。
日本が輸入しているものはエネルギー資源である石油、天然ガスがあり、更に食料や飼料があります。これらは、生活に欠かせないものであり、途絶えると市民生活が大変なことになります。
日本が輸出しているものは基本的に工業製品です。現代社会に欠かせない製品だと考えることもできますが、多くのものは日本以外の国でも生産可能ですし、そもそも、現在使っているものをそのまま使えば多くの場合は何とかなります。食料や石油のように、日々消費してしまうものではないからです。
まして、世界的に大地震が頻発する傾向にあり、現在の気候温暖化がやがて寒冷化となると、世界の景気は一気に冷え込み、観光需要は落ち込み、食料不足、エネルギー資源不足が顕在化するはずです。
更に、もし首都圏大地震が起こってしまうと、今度こそ大幅な円安に振れてしまうでしょう。仮に5%のインフレ、つまり、輸入物価高によるかなり小規模なインフレであっても、国や地方自治体の公債発行は出来なくなり、それだけではなく、多くの金融機関も、保有している公債が逆ザヤで一気に経営が苦しくなるでしょう。日銀が地方自治体保有の公債を全て買い取るというようなことをやっても、それが却って円の信認低下に拍車をかける事態になり、円安が進むだけになります。肝心なのは、二つのことです。
1.輸入に頼る品目をなくすること。少なくとも食料やエネルギー資源のような生活必需品の自給率を高めること。
2.国内の産業を国際的に競争力のあるものに保ち、輸出が輸入を上回る規模になること。
現在の状況は、この二つのことをどちらもおろそかにし、単に公債発行すればそれで事足りると考えてしまっているように思えます。
実を言うと、国債の国内消化には別の問題があります。それは、なんら実質的な経済活動を伴わない資金の供給が増えてしまうという問題です。国債が国外消化されているのであれば、国外の買い手は日本国債を買い続ける動機は特になく、いつでも日本国債買いを止めて、ほかの投資対象へ資金を振り向けることができます。しかし、国内消化をしていると、一種の麻薬のように国内消化を続ける動機付けが出来上がってしまうのです。つまり、国債の買い手にとってこまることは、国債の買い手が付かず、国債消化の未達が起こってしまうことなのです。そのため、国内金融機関で国債を持っているところは、基本的に国債消化の未達を避けようとして、国債を買い続けてしまいます。結果的に、単に政府に資金供給をするためだけに、国債の発行が続けられることになり、国債の残高が多くなればなるほど、それによって日本社会へ供給される利子の金額が大きくなっていくのです。この資金は単に国債を買ったというだけのことで自然に付いてくる利益ですから、いわば全く実質的な経済活動を伴わない資金なのです。国や地方自治体が出す債権は公債として、必ず償還されることになっています。国際会計基準でリスク掛け目ゼロと決まっているからです。そのため、金融機関などがいくら国債とか地方債を持っていようと、自己資本比率が下がることはありません。結果的に、国債や地方債などは、普通の会社が出す社債に比べて、その使途に関してのチェックが甘くなるのです。普通の会社が出す社債であれば、その社債を出した結果得た資金でどの程度業績が上向いているかが様々な人々によってチェックされ、格付け会社によって格付けもされて、それが公表されます。社債があまり有効に生かされていなければ、その社債の価格が下がり、その会社が新しく出そうとする社債には高い利子をつけないと引き受け手が見つからなくなるのです。
本来なら、国債も同じであり、その国の財政が改善しなければ、その国債は格付けが低くなるのです。しかし、それは、国債が外国で売買される場合です。日本のように、国債が国内で消化されていると、国債発行で政府が得た資金が、国債を買った金融機関の社員への国による福利厚生に使われたりするため、国債の格付けをする動機付けが弱くなってしまうのです。国債を発行した政府から見れば、国債償還をした結果、民間金融機関の資金が増加し、それによってより多くの国債発行が可能になります。民間側から見れば、国債を買うことで政府に資金供給をすることで、政府が必要とする資金が賄われ、税金を多く払う必要が無くなります。いわば、国債による信用創造が大規模にされてしまっているのです。税金を払ってしまえば、その分、民間企業の資金は少なくなるだけです。しかし、国債を買うと、見かけ上、民間企業の手元にはその国債があるため、資金の額は特に減らないのです。しかも、政府は一応自由に使う手元資金を得ることができます。税金であれば、それを償還する必要がありませんが、国債の場合、将来償還する、つまり、国債を買った方へ、利子を付けて資金を返済する必要があるのですが、そもそも、その分についても新たに国債発行することで資金を確保する状態に今の日本はなってしまっています。年金や公務員給与、公共事業の費用までが債券発行によって賄われている現状は、公債のリスク掛け目ゼロという国際的な会計規則の決まりによって支えられているだけです。既に、国別にそれぞれの国の環境により、国債のリスク掛け目を設定しようという動きがあり、日本の場合、首都圏地震発生と同時にそのような国際的な動きがされて、円が急激に安くなってしまう可能性があります。
繰り返しますが、普通の信用創造であれば、その質に常に監視がされ、利益が出ないものであれば、新たな信用創造は出来なくなるのです。ところが、日本の公債の場合、信用創造についての監視がまったくされず、どんどんと安易な使われ方をする資金が多くなってしまっていて、ますます、財政崩壊した時の崖が高くなってしまっているのです。
まさしく、破滅へ向かってまっしぐらのように見えてしまうのですが、どうでしょうか?
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