民主主義の欠陥 民主主義とは、間接民主主義において誰でもが同じ一票を投じる権利が保障されている、及び、誰でもが政治において立候補し、または、自分の意見を他者を不当に貶めることを除いて自由に述べることができる社会体制を言う。この民主主義という体制は、確かに独裁者を許容することないという意味ですぐれているように見える。または、誰かが不当に迫害されることがないという意味ですぐれているように見える。 しかし、民主主義がきちんと機能するための条件がある。例えば、選挙において一票を投じる時の情報格差がないことなど、人々の間の平等がある程度保たれていることだ。 今の日本社会は、世界の他の国々と比べると、まだかなりましなように見える。しかし、残念ながら、それはごく表面的に保たれているにすぎない。アメリカと同等、又はアメリカ以上に様々な意味で格差が大きく、日本社会全体で自らの命運を自ら決める力が失われている。アメリカの場合は、少なくとも国自体としては、自らの将来を自らの意思で決めることが出来ている様子だ。しかし、日本はほぼまったく当事者能力をなくしてしまっている。しかも、その当事者能力喪失が自ら転ぶことで起こっているように見える。 ①311大地震の時の気象庁や地震学会の対応(なぜ、三陸沖のM7からM6地震が頻発していたのに、明治三陸沖地震津波の再来があり得るという警戒情報を出せなかったのか。その警戒情報を2日間程度の期間出して、沿岸部の人々を内陸へ2日間程度でも避難させておけば、あの2万人と言う犠牲者の多くは避けられた。)について、何ら責任追及がされないのか。なぜ、大津波が来ないという判断がされたのかの検証をしようとしないのか。 ②福島第一原発事故において大きく矛盾することが幾つも起こっている。最も大きいのが、地震時や津波到来時、そして1号機や3号機の爆発時に現場にいた人たちの証言が全くと言っていいほど出てこないことだ。特に、監視カメラ映像があるはずで、原発の場合、リアルタイムでの監視が必要であり、そのため、監視カメラから映像が監視室のような場所へ常時伝送されていて、映像データがハードディスクに残っているはずだが、それが全く公開されていない。2011年の夏だったか、参議院で当時の民主党風間議員がIAEAの監視カメラが1台あるはずだから、その映像の公開を要請してみてはどうかと質問し、当時の民主党政権がぜひ検討したいと答えたが、その後何の動きもない。このことの陰には、米軍が現場で事故対応にあたって、それがあって事故が過酷化しなかったのであり、米軍の行動を公開するわけにはいかないため監視カメラ映像を公開しないと言ったことが信じられている様子だ。しかし、M9地震が発生した3月11日の深夜には現場に複数台の電源車が到着し、翌日には10台程度の電源車が到着していたのに、全てプラグが合わなかったからということで使われていない。現場には技術者が大勢いたはずだし、工具も電線もあった。だから直接電線をつなげれば電源の確保は出来、原子炉建屋の最上階の換気装置を動かすことで水素爆発は容易に避けることが出来た。だから、少なくとも1号機の爆発は完全に避けることが出来た。だから、現場で米軍ががんばったとは言えない。また、3号機の爆発についても、ガンダーセンと言う反原発の学者の宣伝に乗せられて、自然的な事故だと信じ込まされているが、10m以上ある深さのプールに保管されていた燃料が地震などで揺れたからと言って、部分的な核反応を起こすことはない。燃料体の上端からプールの水面まで数メートルの水深があったはずで、この状態で部分的な核反応は起こりようがない。少なくともこの3号機の爆発直前までの監視カメラ映像があるはずなので、米軍が何かの工作をしていないのであれば、3号機の映像だけでも公開するべきだ。 ③2005年ごろから振り込め詐欺の被害が大きくなっていたように思う。しかし、ATMに現金を引き出しに来る犯人の映像を公開することでこういった被害が出てきた当初にこの犯罪を抑え込むことが簡単にできた。しかし、警察はその動きをしなかった。銀行もそういったことを警察に要請しなかった様子だ。 上に挙げた3点だけでなく、同じ程度に社会的に大きな影響があると思えるおかしなことが10や20程度すぐにでも挙げることができる。アメリカも例えば911アメリカ同時テロなど、大きなだましが行われているが、少なくとも国全体として、当事者能力は保たれているように見える。日本はそうじゃない。いわば家畜化していて、自分たちは豊かな生活をしていると思い込まされているだけだ。 日本の多くの市民は、そもそも社会の実体を理解していない。上に挙げた3点について、明確に意識している人はあまり多くはいないだろう。その原因は、何と言っても今までの80年程度がかなり順調に、かつ平和な状態で社会が成長してきていると思い込んでいるからだ。しかし、残念ながら、それは違う。1985年のプラザ合意以降、日本経済は単に財政赤字に頼っていて、一見豊かな生活はほぼ全てが財政赤字の積み上げでしかないからだ。 武田薬品はアクトスと言う糖尿病治療薬が膀胱がんを起こす副作用があるという訴訟をアメリカで起こされて、数千億円の和解金を払った。しかし、アクトスは世界的に非常に多用されてきた薬だ。膀胱がんと言う副作用があるなら、なぜアメリカ以外の国で同様の訴訟が起こらないのか。同じようなおかしなことは10程度すぐに挙げることができる。 だから、将来、トヨタのプリウスが暴走を起こすと訴訟を起こされて、3兆円程度罰金を取られると言ったことだって、起こらないとは言えない。そして、暴走ということが全く実体のない、単なる言いがかりレベルのことであっても、日本のマスコミも財界も、政治家も何ら声を上げないと言った事態が十分に起こり得る。あの森友事件で1年もの長い期間言いがかりをつけ続けたマスコミと野党政治家がいるにもかかわらずだ。このことは、与党政治家にも言えてて、そういった言いがかりを許し続けてしまっている。 1988年ごろから始まった公立・県立高校への入試不正。これは、その後、論文不正、大学入試不正、就職試験不正などあらゆる意味での試験制度の不正につながっていったのだが、この是正がされてこなかったため、例えば中央官僚の何割という人たちがこういった試験不正組に占められてしまっている。簡単に言えば、彼らは地位を金で買ったため、その支払った金をその地位を利用して取戻したいと言う動機付けが働き、様々な形で公金横領をしてしまっている。その状況を一度かなりの規模で作ってしまったがために、その是正が出来ず、公金横領をどんどんと規模拡大させていくことをせざるを得ない状態に陥ってしまっていて、かつそれを認めることが出来ないため、MMTを頭から信じ込んでいる。自分たちは安泰なのだと信じ込むことをしないと、自分たちの正当性を保つことが出来ないため、現状を見ることをしない。よって、いささかでも自分たちの地位を損なうと思える人たちを平気で排除しようとする。つまり、どんな手段を使っても、その責任を問われないのであれば、平気で自分たちの特権を守ろうとする。 これがおかしいのは、自分たちの地位がなぜ保たれているか。自分たちの地位を支えているものは何かという視点が見事なまでに欠けていることだ。トイレットペーパー1つ、ペットボトル一本、または、ボ-ルペン一本にしても、単に自然にそこにあるわけではない。誰かがそれを作り、またはどこかから運んできて、それを店に並べ、その結果、手軽に買うことが出来ている。ちゃんと金を払っているのだから、それでいいじゃないかという判断があるのだと思うが、それも間違っている。現在の特権階級の人々の多くは、自分たちの労働に見合った給与よりもずっと多くの給与を得ているからだ。つまり、特権階級以外の人たちは、どんどんと困窮へ追い込まれているからだ。 興味深いことに、入試不正組の人たちの同年代に対する割合は40%を超えるはずだが、社会的に特権階級についている人たちの割合は5%にも満たない様子だ。このような状態になっていることは5%に属している人たちは実感を伴って理解が出来るはずだと思う。しかし、そうなら、ぜひ、残りの35%程度の人たちがどういう状態になっているかを考えてほしい。彼らは一種の比較優位の状態に置かれているだけだ。かなり多くの人たちが朝から晩まで汗水を垂らしながら働いて、大した対価は与えられていない。しかし、それでも、退学にならなかっただけでもありがたいと思えと言ったことを言われて、現状がまだましなのだと考えるように誘導されている。問題は、この35%の人たちの今後だ。彼らは試験不正の実体をある程度知っている。だからエリート層とされる人々の実体がインチキであることを理解しやすいし、そのように考える動機付けがされやすい。「俺もあいつも試験不正をしているが、なぜあいつだけがこんなにいい目にあっているのか。おかしいじゃないか。」と考えることはある意味当然と言える。今後、日本社会全体が一定以上の困窮状態に入った時、彼らがそういった不満をどうやってあらわすかが大きな影響を与えるはずだ。既に、振り込め詐欺の関係者が、自分たちがだまし取った金は自分たちの税金を国が高齢者に与えたものであり、高齢者がそれを使わないでしまいこんでいるため、自分たちがそれを引き出して使うようにしているのだ、だから、自分たちはいいことをしているのだという理屈を述べることがあるという。 検察幹部の定年延長について、反対を述べるツイートが数百万単位であったと言うが、背景にはアメリカ軍産複合体の動きがあったのは当然だろう。彼らは、見えない形で非常に大きな影響を日本社会に与えている。このことは、例えば、南スーダンでテロが日常的になっているのと同じだ。 そのため、かなり近い将来、日本も同じようなテロ社会になることは確実だ。入試・試験不正組とそうではない人々の対立、そして、それ以上に入試・試験不正組の人たちの中での内部対立が誘導されていくだろう。 入試不正組の人たち、特に中央官僚の方たちは、自分たちの立場を考えてみるべきだ。なぜ入試不正がここまでの規模でされてきているのか、アメリカ軍産複合体は何を意図しているのか、それを考えたことがあるのだろうか。仮に単に入試不正のための裏金を利権として吸い上げるのであれば、ここまで広範囲に入試不正・試験不正をやらせないはずだ。これは、例えば、徹底的に猟をして獲物を採ってしまえば獲物が無くなってしまうのと同じだ。社会を支えるきちんとした労働をすることが出来ない人々がどんどんと増えてしまうと、そもそも裏金を吸い上げる基盤が崩れてしまう。社会の豊かさが無くなってしまうため、裏金自体の意味が無くなってしまうのだ。工業高校における電気工事士とか溶接の資格試験でさえ不正がかなり日常化しているようだ。こういった経験をした人たちは心の中に明確に引っ掛かりを持つことになる。そういったことを利用して幾らでもサブリミナル効果によるマインドコントロールが可能になるのだ。こういった不正を口に出してしまうと自分のことがばらされるかも知れないと言った心理が簡単に働くため、いくらでもスマホとかテレビを通じて、大規模な誘導が出来てしまう。だから、無自覚なままいろいろな行動をしてしまう。 明確にアメリカは民主主義を利用した大規模な世論操作、マインドコントロールが出来る環境を築いてきている。グーグルやアマゾン、フェイスブックと言った情報・ネット関連の大企業の独占が問題視されたが、マイクロソフトのOS独占について、またはアメリカ企業による情報機器OSの独占については全く問題化しないままだ。ウィンドウズについて、以前はそのソースコードの公開が必要だという世論が一定以上あったが、今ではほとんどそういった意見が話題に上がることがない。現在、ソースコードのごく一部、周辺機器との関連を扱う部分のみが公開されているだけのはずだ。 一時かなり話題になったLINUXについても、この10年程度はほとんど全く話題にならなくなったと思う。一時期はLINUX搭載のパソコンが市販されたが、今ではメーカー品でLINUX搭載のものはほぼないと思う。こういった変化について、マスコミ報道がされることはない。福島第一原発事故で電源車の不使用が報道に挙がらないのと同じだ。重要なことについては単にそうされていくだけで、その当否が意識されることはない。 民主主義がきちんと機能するためには幾つかの条件がある。そのための最も大きなことは、実際に社会で何が起こっているのかをかなり多くの人々が知ることができることだ。ところが、今の日本社会はそのことが大きく損なわれている。一般の人々だけでなく、表向き社会の支配者とされるべき与党政治家自体が実体をほとんど知らされていない。そして、それだけでなく、現状を何とか正常化しようとする勢力を入試不正組が抑え込んでしまっている。入試不正組の方たちは、あまりに自分たちの利権だけを見ていて、その実態がどんどんと弱体化していることを理解しようとしない。このままでは日本社会全体が破滅に追い込まれていくのだが、そのことを理解したくない。だから、そういったことが起こるまで、現状にしがみつこうとする。まさにアメリカ軍産複合体の思うが儘だ。今回の鹿児島県知事選に立候補している伊藤祐一郎氏とか塩田康一氏はどう考えているのだろうか。
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